―全国大会に突入!!の章―
![]() | 発行日:2003年 9月 1日 |
キャプテンの風景I担当編集者が語る制作秘話
キャプテンに全力投球 ちばさんのデビュー作は、講談社からの少女漫画だった。その後、少年サンデーの増刊号で、短編をいくつか描いていた。その頃はちばさんのことはまったく知らなかった。デビューから何年経ったのか『校舎裏のイレブン』という長編を、先輩編集者から引き継いだのが、ちばさんとの初めての出会いだった。
あの時から彼が亡くなるまで、僕らは何をしていただろう。飲み、笑い、怒り、そして飲んだ。その頃、彼とのつきあいが、僕の生活の大半を占めていたような気がする。彼とのつきあいは、なぜ長く続いたのだろう。俗にいうとウマが合ったのか。当然のことだが、僕は彼の作品が好きだった。彼の繊細さが好きだった。
ある日、僕は編集者から「お前の漫画の見方は甘いなァ、某社に知り合いがいるからそこに行くか」と冗談か本気か知らぬがいわれたことがある。その時、持ち込み原稿か何かで、ちばさんのアシスタントが来社していて、そのやりとりを見ていたらしい。そのアシスタントが、その時の様子をちばさんに話したのか。後日、ちばさん宅に打ち合わせで出向いた時、彼が「某社に行かされるんだって?じゃ『キャプテン』持って俺も某社に移るよ」と真面目な顔をしていう。「いや、あれは編集長の冗談だよ」で、この件は落着。でも彼がそれほど僕を信頼してくれていたのかと、感激した。(本当のところは、どうだったのか知らないが…)
今はどうか知らぬが、昔、専属制といって専属料を払い「本誌だけで全力投球してくれ」という主旨の制度があったが、ちばさんは拒否した。編集長は不満らしかったが、僕は無理強いしなかった。で、彼が他誌に描いたかというと、描かなかった。いや遅筆の彼は描けなかった。(2作品の例外はある『みちくさ』と『磯ガラス』)
でも時々、彼はいたずらっぽい顔をして、「○○社から頼まれて、断り切れず読み切り1本OKしたよ」という。僕は困惑した顔で「えっ本当? まずいなァ、ウチの連載大丈夫?」という。しばらくおいて「ウソだよ。こんな状態ではとても描けないよ」と彼はニヤニヤしていう。
ちばさんはもういない。亡くなってから何年になるのか。彼とのつきあいは、僕の生涯に強烈に残るだろう。