キャプテン
文庫版
キャプテン 15 解説
ちばてつや
あきおは男ばかり四人兄弟の三男坊として昭和十八年、満州の奉天(現在の中国・遼寧省瀋陽)で産声をあげました。もっとも、産声をあげたといっても当時は太平洋戦争の末期で食糧事情も悪く、あきおも仮死状態の未熟児で、医者が逆さに吊し尻を叩き、ようやくか細い声をあげたということです。その後も、兄弟の中では体つきも華奢で、どことなく線の細さを感じさせる子供でした。
しかし、体は小さいが頭でっかちな子供で、活発に子供同士で遊ぶということは稀だったように記憶しています。あきおにとっては近所の大学生やおじさんがよき友達で、私たちの目からは、そうした大人と対等につきあっているように見えたものです。メンコやベーゴマといった当時の下町の子供達の遊びには加わらず、大人の友人からラジオの組立や動物の飼い方などを熱心に教わったりしていました。話し方も妙に大人っぽく、あきおの少年時代は″小さな大人″といった感じでした。長男の私が三男坊のあきおにたしなめられることもあったぐらいです。
大人っぽいといえば、兄弟みんな坊主頭なのに、あきおは一人髪を長くのばしていました。櫛を使いはじめたのも、兄弟の中であきおが最初だったのではないでしょうか。
私も、どちらかといえば家の中で本を読んだり絵を描いていたりするのが好きな子供でしたが、あきおは手先が起用で、よく機械いじりをしていました。本人も、将来は技術関係の仕事に進みたかったかもしれません。ところがすい臓を悪くし、やむなく自宅療養ということになったのです。思えば、この自宅療養があきおを漫画の世界に引き入れる契機となりました。
その当時、私はすでに漫画の仕事を始めており、今でもそうですが、締め切りに追われる生活を送っていました。自宅療養といっても、あきおはラジオを組み立てたり、楽器をいじくったりという生活をしており、私もそんなあきおに、つい仕事の手伝いを頼んでみたわけです。すると、生来の器用さからか、簡単にこなしてしまう。そんなことから、いつの間にかこの世界に入ってしまうことになったのです。
ただ、これはあきおが自伝の中でも描いていますが、私の手伝いをしていても、自分自身が漫画家になるという気持ちは、まったくなかったようです。たまたま知り合いの編集者から「あきおちゃん、お兄さんの手伝いばかりしていないで自分でも漫画を描いてみれば」とすすめられたのが、漫画家ちばあきおの誕生へとつながったのです。本気で漫画家になるつもりがなかったこともあってか、あきおは気軽に編集者の依頼を引き受けたようでした。この時のことは私もよく憶えています。というのは、私の仕事を手伝う時にはあれほど器用だったあきおが、とたんに不器用になってしまったからです。私の手伝いだけでなく、なにをするにも器用だったあきおが、自分で漫画を描くとなると、私に輪をかけて不器用になってしまったのです。
決して弱音は吐きませんでしたが、私の目から見ても、みるみる憔悴していくのが分かりました。その時には、この世界に引きずり込んで悪かったかな、という気持ちにさせられたものです。この時の作品があきおの処女作となった『サブとチビ』という少女漫画でした。
それ以降、ポツポツと読み切り作品を描いたり、私のキャラクターを使って学年誌に描いたりしていましたが、本格的に少年誌での連載というと、この『キャプテン』が最初でした。
漫画家としての駆け出しの頃のあきおというのは、相当苦しんだに違いありません。というのは最初はどうしても私の絵に似ているものですから、そこから脱皮しなければという気持ちが強く感じられたからです。私も、あまり悩まなくても、描いていれば自分のタッチやキャラクターが出来てくるんだよ、とアドバイスしたことを憶えています。
ところが『キャプテン』の連載が始まった時には、すでに完成された漫画家としてのちばあきおが存在していたと思います。完成されたどころか、私が憧れるくらいの、実にいい線の味わいのある漫画でした。自然で柔らかく、しかもあまり描き込まずに出来るだけ少ない線でありながら、効果的にキャラクターをつかんでいる。私もあきおのようなタッチで描ければなあと思ったほどです。
一見して頼りない線に見えますが、暖かさが感じられ、キャラクターも実にイキイキとしています。そして、それぞれのキャラクターが、いかにもどこにでもいそうな子供達という感じがよく出ていました。ストーリーもまた、キャラクターによくマッチしたものでした。
最初の頃は、ストーリーもすべてあきお一人でやっていましたが、後にはあきおの下の四男坊の樹之が加わり、二人で共同してストーリーづくりをするようになりました。これが、私から見ても非常にうまくいったように思います。あきおのよい面と樹之のよい面が相乗効果を生み出し、二人で『キャプテン』を紡ぎ出していった――私にはそう思えます。
『キャプテン』のキャラクター達は、谷口にしても丸井にしても、どこにでもいるような野球好きの中学生です。むしろ目立たない子供達です。その彼らが努力して上手くなり、チームワークもしっかりしてきて強豪チームを打ち破るまでになる。その過程がじっくり描かれており、子供達だけでなく大人が読んでもワクワクさせてくれる。そして、これは他のあきおの作品にも共通していえることですが、けんき健気に頑張るキャラクター達を応援したくなるんです。これが『キャプテン』をはじめとするあきおの作品の大きな特長ではないでしょうか。
キャラクターといえば『キャプテン』の谷口をはじめとする各キャラクター達の中には我々兄弟や共通の友人などが、実はたくさん入っています。読んでいて、あ、これは俺だなとか、たとえばイガラシなどは樹之のことを描いているんだなとか、よく分かります。親父やお袋も出てきます。私たち兄弟は子供時代を墨田区向島で過ごしましたが、その当時近所にいたおじさんやおばさんも出ています。その他にも、あきおの少年時代に出会った人達が、足したり引いたりされて様々な形で登場しています。みんな派手さはありませんが、どこにでもいそうな人物ばかりなのです。むしろ地味なキャラクターばかりといえるかもしれません。谷口にしてからが、名前といいキャラクターといい、少年漫画としては実に地味なキャラクターです。しかし、魅力的なのです。
なぜかといえば、さほど才能に恵まれていない人間でも、その少ない才能を一生懸命磨こうとする姿勢が美しいんだ、そしてそれが『生きる』ってことなんだと、あきおの創り出したキャラクターは絶えず語り続けているからです。それはあきお自身が思ってきたことでもあり、それが読者の共感を得たのに違いありません。
あきおの作品は、何度読んでも、また時代が変わっても、、ワクワクさせるものがあるし、キャラクターの一人一人を応援したくなる魅力があります。それは時代は移り変わっても、人間性の本質はそうは変わらないものなんだという、ひとつの証のような気がします。
それにしても、あれだけ苦しんで苦しんで作品を生みだしていたあきおが、もう少し生きていてくれれば、また違った世界を表現して見せてくれたかもしれません。それを思うと、今でも無念でなりません。
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