キャプテン

ちばさんのこと、「キャプテン」のこと

元『月刊少年ジャンプ』編集部 谷口忠男

 ボクの机の前にちばさんの写真がある。いつだったかの『月刊少年ジャンプ』の特集頁企画の時のものだ。ちばさんの家の前で、彼はなんの屈託もなくにこやかに笑って、オレンジを宙に軽く投げている。多分その上には青い空が広がっていたと思う。
 ちばさんが逝って十年になる。時々会いに行く所沢にある彼の墓前で、ぼくは元気だった頃のちばさんの折々の姿を思い出し、話しかける。
「いつか深酒したことがあったじゃない、あの時どこかで、ちばさん頭をぶっつけたろ。俺翌日心配でさあ。打ち所悪くて、漫画描けなくなるんじゃないかと思って…」
「ベタぬり、よく手伝ったな。ベタの谷口っていわれたからね。仕事が一段落して、奥さん夕食出してくれたろ。みそ汁に俺の嫌いな納豆が入っていてさ、思わずウッとなっちゃった。そしたらちばさん、谷口がきた時の食事は納豆ぜめにしようぜ、とかいってさ」
「伊豆の宿で樹之ちゃんと三人で打ち合わせした時、俺、酒の勢いもあって、最近の内容全然面白くないじゃないか。キャラクターが稀薄なんだよ、なんてボロクソにいってさ、翌日俺、自己嫌悪でシュンとしちゃったことあったな」
「何かのインタビューでさ、主人公の谷口くんは、担当編集者の名前からとったそうですが…と聞かれ、そうなんですが、性格は全く正反対なんだけどね、なんていってくれて…」
 ちばさんは、はにかんだような、どう答えていいかわからないような顔で、ぼくの相手をしてくれる。
 せみ時雨雨がパタッとやみ、一瞬の静寂がくる。ふと我にかえると、ちばさんは消えている。すでに夏の太陽は山なみを赤く染め、その姿を消そうとしている。吹き抜ける風が熱い肌に心地よい。
 ちばさんと初めてあったのは、先輩編集者の阿部さんにつれられてであった。読切漫画をたのんであるんだけど、あきおちゃん、てつやさんの手伝いをしながらながら、なかなか進まないんだよ。でも、そろそろ下絵があがる頃なんだ、ということだった。
 練馬の富士見台駅近くのマンションから出てきたちばさんは、少年と見間違えるような小柄で童顔の人だった。
「阿部さん、もうちょっとなんだけど、まだ出来てないんです。ま、あがって下さい」
 この時ぼくはどんな挨拶をしたか、もう憶えていない。部屋に入ると、手帳大の大きさに切ったワラ半紙に下絵らしきものがかいてあり、それを机に並べ「こんな感じだけど…」とちばさん。阿部さんはザッと目を通している。その間にぼくは、ちばさんから話のあらすじを聞かされたと思うのだが、面白い作品になるかどうか、その時点ではわからなかった。「いいじゃないですか。早くペン入れに入って下さい」という阿部さんとのやりとりがあって、その日は帰ったと思う。
 そのあと、ちばさんの担当をぼくがすることになり、次に伺う時は下絵はあがっているものだと思っていたのは甘い考えで、それから何度ちばさんのマンションへ伺ったことだろう。
校舎うらのイレブン  手帳大の下絵が倍の大きさの下絵になり、そのまた倍の下絵になり、その都度畳一面に下絵を並べ「この頁はムダだからとっちゃおう」とか「この頁は入れかえた方がいいな」と何度も推敲し、やっと画用紙に下絵をかくという、気の遠くなるような作業が続いた。そして、構想から実に一年半かかって完成したのが100頁の読切漫画『校舎うらのイレブン』だった。傑作だった。
 ぼくはそれ以前のちばさんの作品を、うかつにも知らなかった。だから『校舎うらのイレブン』が初めてみるちば漫画であった。絵も話も、優しさと人情味あふれるこの作品に接し、ぼくはちばあきおという漫画家とめぐりあえたことを、本当に嬉しく思った。
 次の作品にかかるのは、なぜか早かった。てつや氏の手伝いをやめたのだろうか? ともかく、108頁の少年草野球漫画『半ちゃん』は『校舎うらのイレブン』のような作業をくり返しながらも半年で仕上がった。ちょっと作品の流れが冗長じゃないか、というような生意気な感想を述べた記憶がある。
 その後ぼくもだんだんと編集の仕事に慣れ他の漫画で忙しくなり、ちば宅訪問も少し途絶えていた。ある時阿部さんに「あきおちゃん、その後どうなっているの」と聞かれ「はっ、やっています」とオドオドしながら答え(当時の先輩編集者は怖かった)、また、ちば宅訪問が始まった。
 『半ちゃん』の話が冗長だ、といったせいかどうか忘れたが、次の読切も野球漫画ということになった。『がんばらなくっちゃ』である。中学野球の名門青葉の補欠選手の谷口が、自分の実力にあった野球を楽しみたいと、墨谷二中に転校してくるが、青葉の正選手と間違えられ、期待にそわなくてはダメな状況になり、努力してキャプテンに推されるまでを描いたものだ。単行本では『キャプテン』の最初の部分に収まっている。
 この作品では、途中までかいたところで、ちばさんが入浴中転んで手にケガをしてかけなくなったため、前後編に分かれた。この時ぼくのミスで、途中まで仕上げた原稿枚数と頁数を間違え、8頁分足りないことに気づいた。ちばさんはケガでかけない。締切りはすでに過ぎている。事情を説明し他の漫画家の方に編集部に集まってもらって、ちばさんの下絵をもとに描いてもらいピンチをきりぬけた。
 これはぼくのミスで生じたことだが、ちばさんが急に体調をくずし、数頁を他の漫画家の手をわずらわせたことがあった。単行本化にする時、その部分に手を加えるのかと思ったが、自分の不始末で他の漫画家に迷惑をかけたという思いがあったのだろう、少し絵柄が違っていても一切かき直しはしなかった。
『がんばらなくっちゃ』が、前後編という掲載になった報告を編集長にしたら「この作品は面白い。前後編と続けてかいたのなら連載も可能ということだ。連載をお願いしてきなさい」という命令(?)を受けた。ちばさんが遅筆で、読切しかかけないという思い込みとまた、心に残る作品をかいてもらえばいいという思いがぼくにはあった。編集長のことばを聞いて、編集稼業というのはホント大変なことだなと、改めて認識したものだ。
「無理はさせたくないんだけどさあ…」ということばから始まって、打ち合わせをくり返し、連載は『がんばらなくっちゃ』の続きでいこうということに決まった。『キャプテン』である。もっとも、後にちばさんと話をした時のことだが、このような長編にする気はなく、色んなクラブのキャプテン像を描いていくというのが、最初の構想であったようだ。
谷口キャプテン  ともかく『キャプテン』は大ヒット作となった。ちばさんのデビュー作が、講談社の少女漫画だったので、講談社の友人に当時のことを聞いてもらったのだが、「ちばあきおさん? 彼のデビュー作は『キャプテン』とかいう野球漫画じゃないの」という答えが返ってきたと苦笑いしていた。それほど、ちばあきお=『キャプテン』という印象が強かったのだろう。
 本になる前に、ガラ刷といって見本刷が編集部にくるのだが、『キャプテン』のガラ刷がこない。印刷所に問い合わせると、印刷現場の人達の間でも大人気で、早く読みたいといってガラ刷がすぐなくなるのだ、ということだった。
 また見本本が出来ると、他の編集部の人が『キャプテン』どうなった、といって毎月読みにきていたことがあった。編集者となって初めての嬉しい経験だった。
 ガラ刷で思い出すのは、それが編集部に届くと、すぐ漫画家に持っていくのだが、ちばさんはガラ刷をみて、この構図はこうすれば良かったとか、このボールの位置はこの辺の方がよかったとか、赤鉛筆でいつもチェックしていたのが印象的だった。
 ちばさんの絵は、ぼくはスピード感もあり味のある絵だと思うのだが、一見地味にも見える。ファンレターに、絵は下手なのか上手いのかわからないけど、感動しましたというのがあり、「俺の絵、下手なんだって」と『キャプテン』の大人気のさなかにいても、読者の声を気にしていたのには、ちょっと驚いた。漫画家としては当然のこととはいえ、ぼくには思いも及ばないところで、作品に全力をぶつけていたのだろう。
 連載当初、主人公の姿・格好があまりに平凡だ、ウインドブレーカーか何かを着せて目立たせろと編集長からいわれ「一人ウインドブレーカーですか、ちょっと変ですよ。平凡な中に個性があるんですが…」と口ごもりながらも、ちばさんに相談にいった。少しあきれていたちばさんも、それじゃあということで、イガラシが特徴のある頭の形をしていたので、彼のゴマ塩頭を塗りつぶし、谷口をゴマ塩頭に変えてもらったことがあった。
 ぼくの好きな部分でもあるのだが、ちばさんの絵の特徴は、ともすれば勢いを出すため漫画の基本ワクからはみ出して、絵を描く人が多い中で、ちばさんはほとんどワク内に収め、それでいて勢いを感じさせたのだから、そのテクニックは驚くものがあった。
 またワク線以外は全てフリーハンドで、スクリーントーンも平面的になるのを嫌い、使用しなかった。彼のあたたかみのある絵は、そんなところからもきていたのではないか。
『キャプテン』と並行して、谷口を高校に入れ『週間少年ジャンプ』でも『プレイボール』をスタートさせた。遅筆だった彼が、連載を二本も描くとは、ちょっと考えられないことだった。脂がのっていたのだろう。
 二本の連載が終了し、少しインターバルをおき『ふしぎトーボくん』『チャンプ』と続くのだが、下手な文章を重ねてもちばさんに叱られるだけだ。これでやめたい。
 最後に、天才というと彼が怒るかもしれないが、ぼくは稀有な才能をみせたちばあきおにめぐりあえたことを、感謝したい気持ちでいっぱいだ。

(「ちばあきおのすべて」あとがきより)

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