キャプテン 七三太郎さん

兄・あきおの思い出

 ―ひょうきんさと優しさと― 

七三太郎(本名・千葉樹之)

 まだ子どもの頃の話ですが、兄あきおは手先の器用な性で、よくコツコツと物を作っていました。たとえば、ゴム動力の模型飛行機に飽きると自作飛行機を作り始め、それが実にバランスも良くしかも良く飛ぶのです。
 ここだけの話、どこからか細い鉄パイプを拾ってくると、厚手の板を撃ち抜く火縄銃を作るといった、好奇心の旺盛な面もあり、色んなものを作って遊んでくれました。
 そんなあきおとは歳も近かったので、よく兄弟喧嘩もやりました。しかし決まって弟である私の方が叱られるのです。私が利かなかったせいもありますが、いつも私が悪かった訳ではありません。そんな時は兄もバツが悪いのか、笑いで逃げようと計ります。そして私を叱る親の後ろで、舌を出して挑発するのです。私はたまらず兄を罵ると「兄さんに対してなんて言い草だ」とさらに叱られます。すると兄はヌケヌケと私の悪態に堪え忍ぶポーズを作るのです。
 いつか私はもうその手は食うまいと、兄の挑発に乗らず不当な叱りに耐えて見せますと兄はみるみる顔が強ばり、実は自分が悪かったとゲロったことがあります。私はよせばいいものをこの時とばかり、叱られる兄に舌を出して仕返したことから、その手は二度と使えなくなりましたけど。
 とまあそんな風に、優しさとひょうきんさを備えた兄でした。
 そんなあきおと組んで、仕事をするようになったキッカケは、あきおが長男のてつやのアシスタントをしていて、私が画学生の頃だったと思います。ひょうきんなあきおが、いつになく苦渋な顔をしているので訳を聞くとある編集者から仕事の注文を受けたとのこと。そして相談に乗った私も、たちまち顔をゆがめました。即ち生みの苦しみなるものを、初めて知ったのです。ある時、そんな二人を見かねた次男の研作のシナリオ研究所の夏期講座を受けてみたらとの勧めで、創作の作法を学んだりもしました。
 もう記憶も黄ばみかけた、遠くて熱い頃のことです。

(「ちばあきおのすべて」より)

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