漫画作りのよき相棒
思いやりのある兄 あきお
私にとってのちばあきおは、やさしく思いやりのある兄貴であり、かれこれ十五年以上もまんが作りで一緒に汗を流した相棒でもありました。
その兄がこの世を去ってしまってから数ヵ月、なぜか子供の頃の出来事がまるで昨日のことのように浮かんでは悲しませ、時には笑わせてくれたりもします。
たしか私が小学校に進んで間もない夏、近所の遊び仲間とプールへ行った時のことです。
まるで泳げなかった私はプールのへりにこわごわつかまっていますと、兄は遊び仲間からはずれ、泳ぎ方を教えてやると私をプールのへりから離しました。そしてうつぶせになり手足を伸ばし目を開けてみろと言うのです。「そんなのわけないよ」とやって見せました。しかし兄は疑いの目で、「じゃ次は水の中でじゃんけんのどれかを出すから言ってみな」。「………んにゃろ」、水の中で目を開けるという行為は初めての者にとってたいへんな勇気がいるものなのです。そしてようやく目をあけることが出来ますと手のかき方、足のけり方を手を取りながら教えます。私は言われるままにやってみました。するとプールの底が少しずつ後ろへ後ろへと動いて行くではありませんか。こうふんして兄をふりかえると兄も私の表情でさっしたのでしょう。やはりこうふんしてましたっけ。
それと私が小学生の高学年の頃でしたか、手先の器用な兄はぶきっちょな私の作る模型飛行機を見ていられず、自分の飛行機をほったらかして作りなおしてくれたものです。ところがあまりに熱中しすぎて、なおした私の飛行機の方がずっと性能が良かったなんてこともありました。そんな時の兄は兄貴としてのプライドで口にこそ出しませんでしたが、とりかえて欲しそうな顔をしていましたっけ。
まだまだ思い出をあげればきりがありません。私にとってのあきおは、歳の近い兄だったこと、それに成人してからも一緒に仕事をして、ともに苦しみそして喜びあってきたことから、それはたくさんの温かい思い出を残していってくれました。。今、あきおはどこにいるのかわかりませんけど、どうか安らかに。
最後にこれまで兄を応援して下さった読者のみなさんへ兄に代わりまして一言。長い間、ご愛読していただきましてどうもありがとう。
「月刊少年ジャンプ特別編集 ちばあきお先生追悼号 ちばあきお チャンプ」(昭和60年1月20日発行)より