キャプテン 追悼 ちばあきお先生

ほんとうのヒーローをえが描きつづけた人

あきおさん

本宮ひろ志

ちばあきお先生追悼号特別付録  漫画の読まれ方というのは、一種の流れ作業のようなところがあり、次から次へと片っぱしから読まれ、そして次へ送られていってしまう。だから描き手としても、次から次へと創らなければならない。けっこういいかげんに描く場合もある。
 しかし、完璧をめざして描こうと思ったら、際限なく手を加えるところが出てきて、おそらく十九ページを仕上げるのにも、1か月以上はかかってしまうだろう。
 新人のうちは下手ながらも、それに一所懸命に取り組む。だが、なれてくると、妥協して描いている自分に気がつかなくなってきてしまうのだ。
 最近どうも、漫画を読む気がしなかった。自分の漫画をひっくるめて、どの漫画も面白く感じられないのだ。
 そんな中で唯一、毎月楽しみに待っていたのが、ちばあきおさんの『チャンプ』だった。ちばあきお流のスーパーマン漫画である。しかも人気はトップであり、月刊少年ジャンプの部数も伸び出したという。この時期にまた、こんな作品を創り出した、あきおさんに完全に脱帽した。十年、二十年と漫画を描きつづけ、その上で新鮮な緊張感とエネルギーを持って、刻一刻と変化する時代の中で、本の部数を伸ばすような作品を創り出すという事は、ちょっとやそっとの力では、絶対にできない。
 ちばあきおさんは目立った事がきらいなひとで、はなやかな表面の世界には、あまり出ていかなかった。そしていつもなにもいわない。つまらないへ理屈など、ひとこともしゃべらず、ただ作品を発表するだけだった。
 しかも、その作品を読んだら、だれもなにもいえない、すばらしい作品ばかりを発表した。
 漫画家は白い紙に夢の世界を創り出す。一番大事なことは、作品を創り出すということなのだ。そんな感じの人だった。
 今の時代は、゛その他大勢の時代゛だと思う。ヒーローやリーダーなどは、コケ倒され、なんの技術も持たない、程度の低いタレントが生活の中心になりつつあるテレビなどで、程度の低いへ理屈や、なにも創り出さずにただシャレだけで、楽な方にばかり逃げている。
 あきおさんの作品は、いつでも、その他大勢のような、目立たない主人公が、ひたむきに努力し、ほんとうのヒーローとはなにかをいつも語りかけてきた。
 あきおさんは死んだ……あくまで妥協せず、世間をシャレでごまかさず、自分の職業の漫画に相対し、一歩も逃げることなく、壮烈なる戦死をとげた。楽に生きていくことがなぜ悪い、そんな時代の風潮のなかで……。

「月刊少年ジャンプ特別編集 ちばあきお先生追悼号 ちばあきお チャンプ」(昭和60年1月20日発行)より

 このエッセイおよび画像の資料提供者は谷口希さまです。この場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。m(_ _)m (Oz)
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