谷口くんに、青春のときめきをみた
シンガー・ソングライター みなみらんぼう![]()
ぼくは太平洋クラブライオンズと法政大学と墨谷高校の大ファンである。
だれが好きかといえば、ライオンズでは太田選手、法政なら江川投手、そして墨谷では、もちろん谷口くんだ。
指のまがった谷口くんが、野球のできないさびしさをまぎらわすために、サッカー部にはいって、それでもとうとう野球をすてきれずに、野球部にもどってくる。あの草野球の審判をしながら、泣きだした谷口くんの背中のふるえにぼくは、青春の熱いときめきをみた。
夜になって、学生たちと酒を飲みながら、読売ジャイアンツの話題といっしょに、「きょう、墨谷は勝ったか?」ときく。「いや、まださ。だがもう相手のピッチャーはバタバタだから、きっと逆転だろう」
つまり、ぼくたちおとなでさえも、『プレイボール』を、紙に描かれた少年野球物語だとは思っていないのである。ぼくたちの日常生活の中にまではいりこんだ、気負いのないリアリティが『プレイボール』にあるからなのだろう。
ぼくは、昨年「野球人生」という歌を書いた。べつに谷口くんをモデルにしたわけではないのだけれど、なぜか「野球人生」の主人公と谷口くんは似ている。ぼくの歌の方は、とうとうプロ野球を去らねばならなくなった男が、それでも野球をすてきれず、年老いたいまも、少年野球のアンパイアをやっているという話だが、共通するのは、どちらも野球を単なるゲームとしてみているのではなく、野球にかかわる男の人生のやり方を描いている点だと思う。
それにしても、谷口くんは、ほんとうにおそろしい男だと思う。平凡で、チビで迫力がない。そのくせ、ひとたびプレイボールの声がかかると、いつのまにかペースをあげて、ねばり強く、勝負にいどみ、ついには相手チームをやっつけてしまう。
世の中が、だんだんきらびやかになって、見せかけばかりが、わがもの顔に、横行する時代に、谷口くんの行動は、なんとも痛快なことではないか。
ぼくの墨谷高校が、甲子園に出場し、全国優勝するまで、ぼくは『プレイボール』を、いつも心待ちにしていることだろう。