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球場には赤青色とりどりの野球帽をかぶった子どもたちがつめかけ、選手の一挙手一投足に熱心な応援を送る。茶の間ではテレビの野球中継に熱い視線をはしらせ、また数少ない空地を利用してのボール遊びに熱中する。
そんな子どもたちの姿を見ることは本当に楽しいものだが、この異常とも思える野球熱はどこからきたものだろうか?
中日、広島と東京や大阪以外のプロ野球の優勝により、地方の野球熱が一挙に爆発したことも見のがせないが、プロ野球の高度なプレイ、学生野球の息苦しいまでの純粋さをま近に見ることによって、なにかに打ち込むことの素晴らしさを学んでいく子どもたちが多いのではないのだろうか。そして、苦しい練習の中でつちかわれるチームワーク、ひとつひとつの努力が一年後二年後の自分自身のプレイに確実に反映する充実感も忘れてはならない。
『プレイボール』はそういった我われの願望をかなえてくれ、やればできるんだという夢を与えてくれる。だから読んでいて痛快なのだ。
スポーツ、特に団体競技においては、互いの信頼感が最も大切である。チームメイトを信じ、相手チームを信頼する。中でも審判はゲームの進行をつかさどる上では絶対的な存在だ。審判を100%信じることができないならば、スポーツをする資格はない。
私自身はプロ野球の投手、審判と、つくづく孤独なポジションばかり経験してきた。試合を決定するタイムリーを打たれたとき、信念をもってしたジャッジに対して抗議、暴言をあびせられたとき、自分を見失わないためには、冷静さを保つことが第一だ。だからというわけではないが、私は「静」という字が大好きだ。
審判をしていて感心させられることは、強打者といわれる人は打席での気迫がすごいこと。そして自分のストライクゾーンをよく知っていること。楽しみは、毎年入団してくる新人投手がどんな投球をするかということ。初登板の投手の動きは審判をしている私にもはっきり伝わってきて、いつのまにか同じように興奮している自分にとまどうことも一度や二度ではない。