七三太朗
その年の夏、兄あきおと私はシナリオ研究のため夏期講座を泊まり込みで受講していました。もう記憶もおぼろげですが、あれは日本初の心臓移植手術のニュースが新聞やテレビを連日賑わしていた頃ですから、昭和43年の夏だったように思います。なぜそんなことを覚えているかというと、合宿中の休み時間などにテレビで流される心臓移植のニュースを見ながら、講師が「こうした社会的なニュースもドラマ作りのタネになる」といった話をしていたからです。
当時、あきおはまだ長兄てつやのアシスタントをしていましたが、現行の注文も時折来るようになっていました。私もあきおに請われるままに漫画づくりの相談に乗ったりしていました。漫画家としてのあきおは、まだほんの駆け出しの頃です。そこで、少しでも作品づくりに役立てばという次兄研作の勧めもあって、あきおと私の二人でシナリオ講座に参加することになったのです。
この時の経験が、のちに『キャプテン』そして『プレイボール』と続く長期連載を支えるひとつの要因になったかもしれません。もちろん、あきおの人間観察の細やかさ、作品をつくる上での異常なまでの粘り強さといったものが根底にあってのことですが、時折ストーリー展開に詰まった時など、「そういえば、あの時の講座であんなことをいっていたな」といった話が、あきおの口から出ることもあったからです。そんな時には、すぐ下の弟という気易さもあって話づくりの相談に乗ったり、手伝ったりしていた私も、「うん、そうだったな。こうすればいいかもしれないね」と答えたものです。そして、そこから先は、あきおの、傍から見ていても異常なまでの粘り強さが発揮されることになるのです。
あきおのネーム(簡略な絵とセリフが入った絵コンテのようなもので、映画やドラマでいえばシナリオにあたるものです)づくりは、ちょっと変わっていて、小さな紙一枚を一ページに見立てて、それをページ順にずらっと並べ、常に全体を見ながら話を構成していくというものでした。そして、このページはただの説明部分になっているから必要ないなとか、ここからこっちへ持っていった方が全体がすっきりするなとか、あるいはこれとこれを入れ替えると前の部分が生きてくるなとかブツブツいいながらやっていたものです。さらに、セリフなどもどんどん削ぎおとされていく。こうしたやり方も、今になって考えると、セリフなどもどんどん削ぎおとされていく。こうしたやり方も、今になって考えると、あるいはシナリオづくりを学んだ経験があったかもしれません。
こうしたあきおの、作品づくりの上での粘り強さが最大限に発揮されたのが『キャプテン』でありこの『プレイボール』であったといえるのではないでしょうか。
『キャプテン』は、あきおの少年誌での初の本格的な長期連載で、「月刊少年ジャンプ」の昭和47年2月号からスタートしています。この『キャプテン』の連載が軌道に乗ってきた頃に「週刊少年ジャンプ」からも連載の依頼があり、翌48年の6月から『プレイボール』が始まっています。今から考えると、どちらかといえば遅筆で量産できるタイプではないあきおが、よく月刊誌にプラスして週刊誌の連載もやったものだと思うのですが、あきおにとっても漫画家として脂ののった時期だったのでしょう。
週刊少年ジャンプからの依頼はスポーツ漫画ということで、とくに野球漫画という注文ではなかったと記憶しています。そこで、あきおも当初はラクビーを素材にした作品を考えていたようです。そのためにラクビーの試合を見に行ったりもしたのですが、子供たちにはルールを分からせるだけでも大変だということで、いろいろ考えた挙句、『キャプテン』の初期の主人公だった谷口を高校野球の舞台に立たせてはということになったのです。
もともと量産できるタイプではなく、ひとつのキャラクターを生み出すだけでもあれこれ考え込むことの多かったあきおにとって、谷口という自分の手の内に入れたキャラクターを週刊連載でも登場させることになったのは、自然な流れだったのかもしれません。
もっとも『プレイボール』というタイトルを考えつくまでには色々と考えていたようでした。辞書をあれこれと開いては、何か適当な言葉はないかと探していました。そのうちに「プレイボールっていいな。ボールと遊べってことだし、タイトルとしてもシンプルじゃないか」ということになり、これで行こうということになりました。このシンプルということは、タイトルだけでなく作品づくり全般におけるあきおの基本的な姿勢でした。
「シンプル・イズ・ザ・ベスト」これがあきおの美学だったような気がします。
最近、初めて『プレイボール』や『キャプテン』を読んだ子供たちから、「今の漫画に比べても、結構スピード感があって面白い」という声を聞きましたが、これもあきおがシンプルさを追求したことが、そういう評につながっているような気がします。そして『プレイボール』でいえば、努力することの天才――それが谷口です。これは『キャプテン』に出てくる丸井やイガラシにも共通した面ですが、『プレイボール』の谷口では、それがより際立っています。むろん、あきおが意図的に際立たせているわけですが、よく考えれば、これだけトコトン努力する人間というのは異常ではないか、と思えるほどの努力家です。しかし、あきおの筆にかかると、それが自然に読者に納得できてしまうのです。
そして、こうしたキャラクターをより効果的に引き立たせる周囲のキャラクター達を生み出すことにも、あきおは気を配っていました。『プレイボール』の初めの頃に出てくるサッカー部のキャプテンや谷口が墨高野球部に入部したときの田所キャプテン、そして谷口の女房役として活躍する倉橋捕手――この他にも味のあるキャラクター達が次々登場します。
これらのキャラクター達には、明確なモデルはいませんが、あきおがそれまでに出会った様々な人物が色々な形で生かされていることには間違いありません。私も、あきおから相談を受けたときなどは、お互いに共通の知人を引き合いに出してキャラクターづくりを手伝ったことがありました。そんな時には、年の近い兄と弟ということで、「そういえば、あんなやつがいたな。あいつのイメージが、このキャラには合うんじゃないか」という具合にパッと分かり合えるよさがあったと思います。そして、あきおの頭の中ではそのキャラクターが生き生きと動き出してくるようでした。
もっとも、野球のプレイに関することでは私はほとんど手助けできなかったように思います。よく、「試合運びや選手の動きなど、実際の野球でも参考になる」という声も聞きましたが、これはあきおの研究熱心さが大きかったのです。そして観察眼の鋭さも、あきお独特のものがありました。
そういえば、連載を始める前に、あきおは魔球的なものは絶対に避けよう、魔球が出てきたら俺は終わりだというようなこともいっていました。オタオタせずに、あくまで自分の見える範囲の中で夢を作って行こうという姿勢だったように思います。物語の舞台も、登場するキャラクター達も、すべてあきおが自分で見てきたもの、あるいは見えているものばかりです。あるいは、そんなところが、一見地味に見える作品でありながら、長く読み継がれている理由なのかもしれません。