ちばあきおさんが旅だってからもう10数年が経つ。この『ふしぎトーボくん』はその少し前に描かれた作品と記憶している。
当時、仕事場が同じマンション内という事もあり、お互いヒマを見つけては、というより仕事を抜け出しては近くの酒場で酒を飲み、ゴルフや友達の話、マンガ論などでうだうだと時間を潰していた。
「オレさァ、今の仕事ホントにノンビリ描いてるんだ…」
それが『ふしぎトーボくん』だった。
『キャプテン』『プレイボール』という漫画史に残る二作品を完結し、″人気″と″質″という凄絶な戦いの中で心身ともに疲れ切り、3年程の休養を取って待望の執筆再開であった(実際、マンガにおける″人気″と″質″との戦いは、眼に見えぬ敵に背後に迫られながらゴール無きマラソンレースを疾走している様なものなのである)。
当然、周囲の期待と注目を浴びる事になったが、
「今度は人気に関係なく、描きたい物を自分のペースで楽しみながら描くんだ…」
と嬉しそうに笑っていた。そういう意味ではこの『ふしぎトーボくん』が、漫画家ちばあきおの本質を最も表現している作品といえるかも知れない。
ストーリー設定は単純である。動物と話ができ、UFOともコンタクトが取れるという不思議な能力を持つ少年トーボと、彼を取り巻く人間、動物達の話である。
たしかに、最初はそういう不思議な能力を持てたら楽しいだろうなという、ドラえもんのポケット的発想から生まれたものだったろう。
だが、作家、創作者の宿命というべきか、回を重ねるごとに作者の人生観が確実に投影され次第に作品を深いものにして行く。
作品中にたびたび登場する「人間は複雑だから」というセリフ…。主人公トーボは心優しく、それゆえ傷つきやすい。その性格が「複雑な人間」の社会と適合せずに孤立し、自分のカラの中に閉じこもって行く。だが、作者はそこで良しとはしない。トーボの心を開くために″戦い″の場を設定する。逃げるな、立ち向かえ、と尻を叩く。弱い筈のトーボが悪ガキに向かって行く。猫のゴローも野性を取り戻すために懸命に変わろうとする。
″戦い″とは自分の存在を確認するための作業である。
決して自分自身を見失うなと作者は訴える。
それさえ捨てなければ大丈夫だと…。
思えばあきおさん自身がいつも戦っていた。
体力が圧倒的な有利となる野球・ゴルフでも、身体が小さいというハンデをものともせず互角以上に、特にゴルフにおいては、大男を手玉に取っていた。そして前二作、代表作の″人気″と″質″の凄絶な戦い。あきおさんは見事に戦い切っていた。そこには、確かに″ちばあきお″という大きな存在があった。
『トーボくん』では、あきおさんの鋭い眼は動物の世界を借りて更なる本質へと向かう。
愛情無き飼主にクサリで繋がれ、心荒むクロ…。そのクロがクサリから放たれ、生まれて初めて川を眼にする時の感動。″自由″というものの素晴らしさ。他人から束縛されることの辛さ、哀しさ。更にクロの眼をとおして語られる未知の世界への好奇心、野性への憧れ…。これは人間、生物が持つ本能的な欲求である。だが、ここで作家は″自由″の中にある″ルール″を説く。同じ境遇にあった犬を助け出したクロは、他の犬のテリトリーに入り込み、そこで手酷い目に合う。犬には犬の、猫には猫の、人間には人間のそれぞれの″ルール″があり、その中で生きていかねばならない。それが″社会″だと教える。
(私事だが、昔あきおさんにピシッと言われた事がある。作品が売れ始め少し有頂天になりかけの頃「おまえ、売れれば売れるほど頭は下げるもんだよ。売れてフンゾリ返るのは下品ていうもんだよ」…。以来、私の下品さは現状程度で収まっている)
そして更に、あきおさんの視線は″生″そのものへも向けられる。過酷なまでのクロの生いたち。母の乳を独占したがために弱い兄弟は死に、やがて、母親もクロを残して息絶える。
「ようするに、おれって、兄弟ばかりか母親をも犠牲にして生きてきた鬼のような犬なんスよ」と自分を責めるクロに「それはちがう。母親はおまえの強い生命力を見て、せめておまえだけでも生かそうとした。死んだ兄弟のぶんも生きろって…。そんな命をそまつにしたらバチがあたるぞ」とトーボが言う。
人間、生物すべてただ生まれて来たわけじゃない。そこには必ず意義、存在する理由がある。だからこそ″命″を無駄にするなと訴える。
UFOに乗り、着いた惑星では″生きて行く″という生物の残酷なまでの″システム″を見せる。登場する巨大魚には度胆を抜かれる。人間なんてちっちゃなものかも知れない。
だが生きなきゃ、一生懸命生きなきゃと、ふと思う。
決して説教しているわけではない。だが自然に見る側の脳の内にざわざわと浸透していく。思わずページの手を止めて空を仰いでふと息をついてしまう。そんな作品である。
話は少しズレるが、今、日本中で話題になっているいじめの問題がある。
トーボがその境遇にいれば格好のイジメの的であろう。だがそこでトーボは負けるだろうか? 答えは多分ノーである。トーボは必死に戦うだろう。″生″″自由″″ルール″を知ったトーボは決して屈しない。自分の存在を賭けて戦うだろう。この作品はイジメに苦しむ子供達への優しい応援歌かも知れない。
物語はトーボがその能力ゆえに再び″複雑な人間″に傷つき、施設に引き取られて行くシーンで終わっている。だがトーボはもう一度立ち上がり″戦い″を再開するであろう。
誰よりもあきおさん自身がそれを信じていた筈だ。まだまだ描き続けて欲しかった…。
今、こうして改めて読み直して見ると、絵の上手さは勿論のこと、あきおさんの人間や生物に対する深い洞察力には舌を巻く。やはり″能力″の差なのだろうか…。そして私の中で何故かトーボくんとあきおさん自身が重なる。今ごろ旅だった先でクロやゴローと巡り逢っているだろうか…。
この作品は、勉強や仕事に少し疲れた人、人間が少し嫌いになりかけている人、心が固くなってしまった人、そんな人に是非とも読んでもらいたい作品である。
最後に、この作品はあきおさんの実弟、七三太朗さんの原作という名アシストを得てより高度の作品に仕上がった事を書き添えておきます。
1999年6月
武論尊さんの顔写真は「ちばあきおのすべて」からとらせていただきました。(Oz)
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